これによると、「昭和56年6月14日、名古屋の新栄に「串かつ・やきとり やまちゃん」が誕生」となってるね。当初から、「手羽先から揚げ」がメニューにあったかどうかは書かれていない。
おいらが始めて名古屋の「手羽先から揚げ」に出会ったのは確か昭和49年くらいのことだった。
あの頃は名古屋には焼き鳥屋は本当に一軒もなかった(ずいぶん探し回った!)から、「やまちゃん」はそういう意味でも名古屋では新しい店だったに違いない。
あの頃通った店は、今の地図を見てもなかなか分からないんだけど、確か守山区に渡る橋のそばにあったような気がする。
その店が『鶏料理の風来坊』だったのかなあ。
近くに名鉄の駅があったと思ったけど・・・。
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駅裏から、守山区大字瀬古字屋敷という住所の、農家の入り口、おそらく門番か、使用人が住んでいたと思われる、大きな塀の一部が家になっているところを借りて移りすんだんだ。
渡り廊下を歩いてゆくと、汲み取り便所があった。直接、肥溜めに続いている便所で、夜中に寝ぼけたまま小便をしに行って、ふと気がつくと、小便の便器いっぱいに大きな蛆虫がびっしり上がってきていて、それが小便で流れて便器が詰まって、小便が流れて行かない!そのなかでものすごい数の蛆虫がうごめいているんだ!!
もう、卒倒しそうになるほど驚いたな。なるほど、でかいハエがたくさんとびまわっていたワケだ。
そこで、翌日、バケツで水に薄めるタイプの殺虫剤を買って来て、大と小両方の便器にどんとぶちまけた。
これで安心と思っていたら、夜中に、今度は体が半分茶色に変色した、蛆虫がやっぱり、便器いっぱいにびっしり上がってきているんだもの、もう、地獄の有様を見るようで、恐怖のどん底に叩き込まれたモンだった。
あんなデカいハエは見たこと無かった。旭川というか、当時、北海道の便所はまだまだ汲み取りが多かったから、ハエはずいぶん多くて、ハエ取リボンの下がった店がずいぶんあった。
なので、ハエなんか慣れていると思っていたが、もう、すごいでかさで、しかもすごい生命力だ。あんなのは見たことが無かった!
ハエ取リボンよろしく、ゴキブリホイホイでハエを追い回してくっつけてみると、今度はその場で蛆虫が腹からぞろぞろ出て来る始末!!
きゃー!!!
気持ち悪い話でごめん!それにしても、懐かしくて、あの頃の光景が次々と浮かんでくるよ。
朝になると、横の畑に雉が何羽も来ていた!ものすごい声で鳴いて、うるさかったなあ。
一緒に住んでいた猫は、いつも一緒に散歩をしてくれた。押入れの中にダンボールと毛布を用意しておいたのに、帰ってくるとおいらのベッドの中で子猫を4匹生んでいた。
アパートに住んでいたとき、この猫が部屋にいたのに、うっかり戸を締め切って出かけてしまったことがあった。帰ってきてみると、自分の餌の入れ物の中におしっこをしていた。きっと、ずいぶん考えて悩んだんだろうなあ。今までで、あんなに頭がよくてかわいい猫は見たことが無い。
いつも行っていた安いホルモン屋の兄ちゃんが、東京に引っ越す事を伝えに行ったら、寿司屋に連れて行ってくれた。おそらくその店で使った全額より高い寿司だったと思う。
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